2011年。

とうとう2011年。


・・・ あけましておめでとうございます?   j

そういえばこのブログの少ない読者に挨拶が遅れました。笑

ええ、いま朝です。  午後からまだずーーーーーーーーーと駿台です。

冬休みもとうとう終わりに近づいてきました。  また学校なんですね。 

今一番苦悩してるのが国語の課題。 源氏物語をよんでこいってのはいいと思うけど、

現代評論戦の文章を4台指定し、課題に解答せよ。 というのがなんともいやらしい。 ムカつく。

2学期に現代評論戦を使うとかいっておいて、一度も使わず、夏休みに宿題だった夏目漱石の「こころ」を

2学期期末になってやりだした。 意図なんてものはもちろんないだろう。 

現在の全国の国語の授業というものは、一種の観賞会となっていて解く力というものはつけにくい、なんて話もある。

といってもこの学年の現代文の先生は自己陶酔に陥ることはめったにないが、話が多い。

とまあここまでにして、友達の進学校の話を聞いても、夏休み、冬休みは宿題が出ないことがおおいようだ。

やはり自分で勉強することがある、それを学校はわかってて宿題はあえて出さない。 互いにいいことだらけだろう。

それにくらべ自分が思うに、英語、国語の自己主張が激しい。 学校で宿題を出すからには何か意味のあるものにしてほしい。
解答しても添削などはもちろんしないだろう。 やってあるか、ないか、だけ。 それで返却。 解答見て〇付け。

これのどこに時間をつぶした意味がある? 解説も特にないんじゃ、受けっぱなしのテストとほとんど変わらない。

神学校になりきれてないとはこういうことにもあるんじゃないかと思えてくる最近。

2011年はとうとう受験生になる年だ。 今年は本当に進化していくしかない。 

冬期講習を受けててわかったのが、自分の数学の勉強の甘さ。 ただチャート解いてるんじゃ意味がない。

そこで+α、それを考えないといけない。 甘さに気付けて良かった半面、レベルの低さに焦りをおぼえた。

自己流でやるなんて言わない、でも学校が変に宿題を出すとか、小論文の課題を2つもやらせるとか、

志望校が決まってる自分にとってはどうでもいいことだ。 いずれ使うから、なんて理由でやらせないでほしい。

そんなのどの学校だって同じだろう。 小論文をやっておかないと進路を狭めるって・・・ キリがないな。

考えてるのかどうなのか・・・・     まったく最近自分の学校に対する嫌悪感はつきない。